2006.05.09

ボリビアの首都ラパスに居ます。

地球の裏側、ボリビアの首都ラパスからアップしました。

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2006.04.10

オランダの思い出

Tulip

昨年の夏休みにオランダへ行ったときにチューリップの球根を買ってきた。

冬に植えておいた。
2月に芽が出た。
桜前線が近付くに連れて、つぼみが膨らんできた。
そしてこんなにきれいに咲いた。
昨日天気が良かったので、しみじみ見ながら写真を撮った。

1つの球根から1つの花が咲くのかと思っていたが、
必ずしもそうではないようだ。
複数の花が咲いている球根がある。
少し出遅れているが、2個目のつぼみを付けているのもある。
逆にまだ1つも花を咲かせていないのもある。

球根を買うときに、袋に咲く花の写真が付いていた。
それを見て買ったのだが、全く写真の通りの花が咲いた。
花が咲くってこんなにうれしいとは思わなかった。

オランダに行ったのはチューリップが咲く時期ではなかったが、
家で咲いたチューリップを見て、チューリップの季節のオランダはさぞかし
美しいだろうとオランダの景色を思い出した。

球根はアムステルダムのムント塔のそばにある「シンゲルの花市」で買った。
1袋10個入りで3.5ユーロ。わずか500円。
もしアムステルダムに行くことがあったら、
是非おみやげにチューリップの球根を買って欲しい。空港でも売っている。
日本でまたオランダを楽しめるから。

私は北欧に行くのに最初にオランダに寄ったため、球根は1袋しか買わなかった。
最後に寄ればもっといろんな色の球根を買えたのにと思っている。
球根以外に花の種も買った(こちらは軽い)。
今はまだ土の中。
こちらもきれいに咲くといいけど。

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2005.02.22

風船一揆復興乃陣

風船一揆復興乃陣1
風船一揆復興乃陣2
風船一揆復興乃陣3
風船一揆復興乃陣4

 新潟県中越地震から120日の19,20日、被災地の1つである小千谷市で開かれた「風船一揆復興乃陣」に参加してきた。風船一揆は、例年市のお祭りとして開催されている熱気球大会だが、今年はやはり賛否両論があったそうで、市のお祭りではなく雄志だけで開いた形になっている。地元の気球関係者の呼びかけに応じて、熱気球を見たり乗ったりすることによって、せめて気持ちだけでも明るくなって欲しいとの思いから、全国から気球野郎が参加した。

 今年は特に、被災した市民にも熱気球に乗ってもらおうと、何ヶ所かに分けて係留をした。またフリーフライトにも市民に搭乗してもらった。うちのチームの気球には、仮設住宅に住んでいる親子(父と息子)が来た。毎年見ているからだろうが、このお父さんがまた気球に詳しい人で、いつも見ているだけの気球に乗れたことで大変喜んでくれた。この親子のフライトの様子を取材したいと、別の気球にNHKのカメラクルーが乗り込み、上空でも撮影していたようだ。うちのチームの気球にはチームの人間が3人と親子の計5人が乗っていて、私は地上班としてチェイスをしていた。

 上空での撮影が一通り済んだ後、うちのチームの気球はある小学校の校庭に着陸した。ちなみに今年は19年ぶりの豪雪だそうで、校庭と言ってもどこまでが校庭でどこからが畑なのか初めて来た人間には全くわからない程の雪である。私は後から車で学校に着いたので、詳しい状況は後から聞いたのだが、要は(今年は公式ではないが)市民祭りの日に学校の雪一面の校庭に空から気球が舞い降りてきた。そしてこの空からやってきた人たちは、子供たちを気球に乗せてあげると言った。多分児童たち(もちろん先生も)は教室の中から見ていたのだろう。担任の先生が許可を出して児童が校庭に飛び出してきた。気球に何10人という児童が群がる。私が学校に着いたときに、100人ぐらいの児童と数人の担任の先生らしき人が居たので、数クラス分だろう。

 私は無線で「係留をするためのロープを早く持ってこい」と言われていたが、一面の雪のため校庭への入口がわからなかった。学校の駐車場に車を停め、校舎を横切る形で校庭に行けるのではと思い、校舎の方へ行った。ところが(当然かもしれないが)、相当な不審者扱いをされた。結局校舎を迂回して校庭にたどり着いた。しかしもうロープは必要なさそうな状況(係留をやらない)になっている。

 後で聞くとこういうことだ。校庭には、空から降りてきた熱気球とそれに群がる児童。それを見て校長先生が校庭に出てきた。

あなた方は何者で、何をしにやってきたのかと。
うちのチームの誰かがこう言っただろう。
今日が熱気球大会の日であることは御存知でしょう。私たちは偶然ここに飛んできた。係留で市民を乗せるように言われているし、午後には市内でもやるが、私たちは今ここでやりたいと思う。子供たちもきっと喜んでくれると思う。
すると校長先生はこう言ったという。
子供たちに何かあったらどうするのか。親の許可もなく認めることはできない。今度は事前に連絡してくれと。
この会話は、100人近い児童と何人もの担任の先生が聞いているところで行われた。

 私はこの時現場に居合わせなかったが、児童や担任の先生がさぞかしガッカリしたであろうことは容易に想像がつく。乗せることはできないが、気球をたたむのを手伝ってくれと言って児童たちが気球に触ったりして喜んでいる頃に私は着いた。そのとき(無線では係留をやると言っていたのに)なぜ気球をたたむ準備をしているのか解らなかったが、担任の先生と話したときに、それでもすごいプレゼントがやってきたと言って大変喜んでくれていた。子供たちの喜びようは見ればわかる。別のメンバーが(担任の)先生と話したところによれば、この校長は今年赴任してきたらしい。陰では何でそんな不粋なことを言うんだと思っていたに違いない。

 確かについ数日前、卒業した母校の小学校を訪れた17歳の少年が先生を刺し殺した事件が起こったばかりだ。だいぶ前になったが、小学校に侵入して8人の児童を刺殺した男が死刑になった事件の記憶も生々しい。時節柄、警戒心を抱くのももっともなことだ。しかし今日は祭りの日である。祭りの日に祭りの出で立ちをした人が来て怪しんでいては、何も楽しむことはできないではないか。クリスマスにサンタクロースが煙突から入ってくるのを見つけたら、住居不法侵入で警察に通報しなさいと子供に教えるのだろうか。気球を通じて小千谷の皆さんに元気を出してもらおう、喜んでいる姿を見て自分たちも元気になって帰ろうというまたとない機会だったのに、本当に残念な出来事だった。

 小学校ではカメラを持って校庭に向かわなかったので、気球に群がってはしゃぐ子供たちの写真は、残念ながら無い。フリーフライトに乗った親子の写真と、午後に行った係留の写真を載せることにする。

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2004.09.03

見送り

見送り

 礼文島西海岸の猫台・桃台のそばにあるユースホステルは、一昨年、裏の崖から岩盤が崩落したが建物の直前で止まったため、難を逃れた。そのユースホステルは「歌って踊るユース」としても有名であるとバスガイドさんが言っていた。歌って踊るとは、香深港に到着するもしくは帰るユースのお客さんを、歌って踊って迎えるもしくは見送るのだそうだ。彼らがそのユースの人かどうかは定かでないのだが、出航に合わせて歌って踊っている人も他に居ないと思うので、その人達なのだろう。
 紙テープを持っているバスガイドさんの、紙テープの反対側には友達らしき女性が数人いた。後に船内で見かけたときに大きな荷物を持っていたので、本当に長期間のお別れなのだろう。紙テープを持っている3人は、紙テープが切れても波止場の先端まで走り、一番高いところに上がり、見えなくなるまで手を振っていた。
 どちらの人達も私のことを見送ってくれているわけではないのだが、何かドラマの1シーンを見ているようで、うれしさがこみ上げてきた。

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桃岩

桃岩

 礼文島の西海岸は東海岸とは異なる険しい地形で、そのためにより自然のままの姿が見られる。桃岩は見ての通り桃のような形をしていることから名付けられたが、真下から見ると桃の種に見えるところまである。岩の向かって右側の平らなところは桃岩展望台で、利尻山がよく見えるところのようだ。しかし宗谷バスの定期観光礼文Aコースでは、残念ながら時間不足でコースに入っていない。ここから振り返った後ろには、海の方を向いた招き猫のように見える猫岩がある。猫台・桃台にて。

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利尻山

利尻山

 利尻島は島全体が標高1721mの利尻山という1つの山で、その裾野は海面の下へと続いている。そのため利尻山の登山は標高0mからの登山となる。フェリー乗船中は雲1つなかったが、香深港に着いたときにはわずかに雲がかかった。礼文島観光中は山頂が見えないほど雲が多くなってきたが、それでもバスガイドさんによれば、雲に隠れていることの多い8月にしてはよく見えている方だと言っていた。礼文島香深港にて。

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2004.09.02

稚内・礼文島観光

 8月27日、28日の2日間で稚内と礼文島を訪れた。ツアバスはこれまで好きではなかったが、短い時間と不便な交通事情のため、宗谷バスの定期観光バスで観光した。

ノシャップ岬
日本最北端の地
最北端の○○

 稚内ではノシャップ岬,稚内公園,宗谷岬と廻った。ノシャップ岬はサンセットが美しいことで有名らしい。サンセットにはまだ時間があったが、ちょうど利尻島と礼文島の間に太陽があった。島が見えたのは感激したが、逆光でなければもっと良かったのにと思った。稚内公園では百年記念塔に昇った。サハリンが微かに見えた。宗谷岬付近は何かにつけて「日本最北端の○○」がたくさんあった。岬付近の売店で「日本最北端到達証明書」を買った。100円だ。稚内市街から宗谷岬はバスで30分以上かかるが、行きはともかく帰りもバスガイドさんが色々楽しい話をしてくれた。この定期観光バスには18人乗っていたが、私は2番(切符を買った順)だったので、最前列バスガイドさんの目の前に座っていた。夜は稚内の中心に泊まった。インターネットで見つけた旅館だったが、夕食・朝食付きとは言っても、四畳半、トイレ共同で8,400円はちょっと高いと思った。夕食は稚内料理のタコしゃぶを食べた。

 稚内港を7:30に出るフェリーに乗って、礼文島の香深港に9:25に着いた。船内は十分にくつろげテレビもたくさんあって居心地がよい。北から見る利尻山も、またもや逆光気味だが近くに見える。フェリーの切符は2,100円。下船時に切符を回収されてしまうのが残念だ。ここでも宗谷バスの定期観光バスに乗った。13:05発のフェリーに乗らないと今日中に札幌に着けないからだ。9:40発の礼文Aコースは12:40までの3時間。定期観光バスは全てがフェリーの時間に合わせて組まれている。このバスに乗って一番驚いたのは、バスガイドさんがすごく上手だったことだ。しかし2階建てバスで、ほとんどの乗客は2階、バスガイドさんは1階に居たので、顔が見えなかったことが残念だった。澄海(スカイ)岬,スコトン岬,猫台・桃台を巡った。
澄海(スカイ)岬
スコトン岬とトド島
猫台・桃台からの礼文島西海岸の眺め
 澄海岬は文字通り、海の底まで見える澄んだ海の岬だった。この名前は後付けらしい。定期観光バスを終えるとすぐフェリーの出航時刻なので昼食はどうしようと思っていたが、スカイ岬でバスガイドさんがお持ち帰りのウニ丼があると教えてくれた。これは帰りのフェリーで食べた。
 スコトン岬は礼文島の最北端で、その先にあるトド島には、冬になるとたくさんのトドがやってくるらしい。トドは漁師にとって大敵なので、捕らえて食べるということだ。トド肉の缶詰が売っていたが、それはやめにしてお土産用のウニを買った。稚内から海産物を送る予定があったので、稚内まで持ち帰ってそこから送ろうとしたが、できないという。聞けば注文を受けてから獲りに行くらしい。だから宅配便による発送の受け付けしかないのだ。あれから5日経つが未だ届いていない。明日あたり問い合わせてみよう。
 礼文島の北から一旦香深の街を抜けて山を登り、桃岩トンネルを抜けると礼文島の西海岸に出る。西海岸は断崖絶壁が多く、自動車の走れる道路がほとんどない。しかし海岸の美しさでは東海岸より断然上だ。猫台・桃台は桃岩と猫岩の両方が見えるところにある小さな展望台だ。展望台と言っても、ちょっと高いところに上がる階段と柵があるだけで、駐車場とトイレはあるがお土産屋は無い。礼文島では3箇所廻ったが、私は桃岩の眺めが一番良かった。しかし桃の「種」の部分は桃台からは見えず、バスの中からの見学のみで残念だった。帰りのフェリーの出航のとき、多分「歌って踊るユース」の人たちが見送っていて、帰りの船出まで礼文島を楽しむことができた。
 礼文島は本当に素晴らしいところだった。バスガイドさんの話が本当に上手で、感動に輪を掛けてくれた。半日の観光のためにフェリー往復と定期観光バスで7,500円かかったが、それだけの価値はあった。しかし今度は違う季節にもっとゆっくり、そして利尻島もハシゴして観光したい。

 稚内に戻って、札幌行きの列車までの2時間の間に、自宅や親戚向けに海産物を送った。本当に北海道はおみやげには困らない。ここではマトリョーシカ(ロシアの入れ子の人形)も見かけた。稚内駅は日本最北端の駅であり、その北側の、港との抜け道に「最北端の線路」がある。しかし決して行き止まりの駅ではなく、その先(今はロシアとなったサハリン)に続いていることを示す看板が、稚内駅のホームにある。街中でもロシア語の看板を時々見た。稚内に鉄道が敷かれた頃、サハリン(樺太)は日本の国土だった。その名残か、今でもサハリンと稚内はつながっているという意識があるようだ。なにせサハリン島まで50km足らず、利尻・礼文と大差ないのだ。
 稚内は思っていたよりもはるかに小さなさびしい感じの町だった。1999年5月1日に半世紀ぶりに稚内-コルサコフ定期航路が再開された。現在ロシアを旅行するには、ビザ(査証)やバウチャー(予約証明書)が必要だが、こういう面倒なものも徐々になくなっていくに違いない。そうすれば人々の往来もさらに多くなる。日露関係の発展は、イコール稚内の発展である。今度はサハリンを訪れるときのゲートウェイとして稚内を訪れたい。そんなことを考えながら、稚内駅を後にした。

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最北端の線路

最北端の線路

 稚内の次の停車駅はコルサコフだが、現実はこのようになっている。稚内には何かにつけて「日本最北端の○○」があるが、これもその1つである。

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2004.09.01

次の停車駅は~コルサコフ~コルサコフ~

次の停車駅は~コルサコフ~コルサコフ~

 日本の鉄道網が整備された時期には、サハリン(樺太)は日本であった。だから青函連絡船や宇高連絡線と同じように、宗谷海峡を渡ってコルサコフ(大泊)まで行く連絡船が、国鉄の路線として存在したのだ。そしてコルサコフで再度鉄道に乗り換えてサハリンを北上していた。この看板はその名残、というよりシャレのつもりだろう。駅と港は大動脈の一部だったため、稚内駅と稚内港は徒歩5分程度の近さにある。現在駅と港を結ぶ道はこんなふうになっている。稚内駅ホームにて。

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日本最北端の町ならでは

日本最北端の町ならでは

 サハリンまで50km足らずの稚内市内では、ときどきロシア語の看板を見かけることがある。多分右上の看板と同じことが書かれているのであろう。稚内駅前バスターミナル前にて。

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