2006.11.05

[書評] 文明崩壊

ジャレド・ダイアモンド:文明崩壊 上・下,草思社,2005

文明崩壊 本書の著者ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んで影響を受け、関連しそうな本を読んできたことはこのブログでも述べてきた。「銃・病原菌・鉄」が出た当時はそれに近い内容を扱った本は少なかったと思うが、その後「銃・病原菌・鉄」に影響を受けたことにより研究が進んだのか、最近は書店にも並ぶようになったと感じていた。しかし世の中が近づいてきたとき、当のジャレド・ダイアモンドはその先に行っていた。
 「銃・病原菌・鉄」が文明のスタートラインから今日までの道のりを描いたのに対し、本書では今日から向かうかもしれない文明の終焉の可能性を示す。本書は大きく分けて現代の社会と過去の社会の2つから、それぞれ5つの社会を取り上げる。過去の社会はいずれも「環境問題」に適応できずに崩壊した社会である。現代の社会もそれぞれに「環境問題」を抱える社会である。過去の社会の崩壊例を見せられた後では、現代の社会の崩壊も絵空事とは思えない。
 「環境問題」とかぎ括弧付きで書いたのは、本書で取り上げられている環境問題とは、昨今の日本社会において流行で取り上げられているような狭い意味での環境問題ではないからである。日本が島国であるのも、日本人が米を主食とするのも、現在アメリカと仲が良く中国と仲が悪いのも、皆日本を形作る本書で言うところの環境である。こういう意味での「環境問題」であるから、将来本書に由来すると言われるような誤解を与えない訳語を使って欲しかった。
 過去の歴史が何かを証明するわけではないが、将来のことを予測するのに過去の例を参照するのは説得力を持つ。そういう意味で、過去の社会を取り上げた第2部は圧巻である。第2部が本書の中核であるし、第2部だけでも1冊の本になると感じる。しかし主題の裏付けのために取り上げた承や転の部分が中核だと言われてしまうのは、結が弱いからではないだろうか。「銃・病原菌・鉄」は過去の話だったので、多少結が甘くても承転で重要な事実が指摘されていれば、それだけで価値があった。しかし本書の主題は将来の話であり、過去の重要な事実もあくまでも前ふりにしか過ぎない。将来に向けてと題した第4部の結びのための前ふりであるのに、読後も前ふりの印象ばかりが残ってしまって、結局著者は何を言いたかったのか心に残らない。個々の事例研究として第一級だと思うが、「銃・病原菌・鉄」ほどの衝撃は感じられない。☆☆☆☆

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2006.04.10

[書評] 人間ものがたり

ジェイムズ・デイヴィス:人間ものがたり,日本放送出版協会,2005

人間ものがたり 訳者が書いているように、おとなのための世界史教科書という表現がピッタリとくる本である。各章のタイトルの付け方に表されているように、おとなどころかこどもに物語を読んで聞かせているような語り口になっている。世界史というのは、高校生時代に授業を受けた記憶で言えば、時間軸に沿って話が進むがあっちこっちと話が飛んでしまい、全体像がつかめない感じであった。本書は24章に分かれているが、各論の寄せ集めではなく全体を通してのストーリーとして成立している。まさに人間ものがたりである。
 著者は表紙見開きで「わたしたち人類は、なんのかんのと言っても結局は長い時間をかけて、つねによいほうへと進歩してきたのだ」と歴史観を述べている。私はこの著者の考えに全面的に賛成である。よく昔は良かった的なことを言う人が居るが、個人の思い出としてならともかく、社会としてそうだというのであれば、私は断固として反対したい。もし本当にそうなら、あなたはあなたが生きている期間を通じて世の中を悪い方向へ導いてきたのかと問いたい。
 後世の人からあれは間違いだったと言われることがあるにしても、その時点のその人の視点において、みんな世の中を良くしたいと思って行動している。時代,社会を超えて人間ものがたりが書けるのは、この共通する思いが底に流れているからである。☆☆☆☆

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2006.03.23

[書評] ソリトン,カオス,フラクタル

戸田 盛和:ソリトン,カオス,フラクタル,岩波書店,1999

ソリトン,カオス,フラクタル 全4巻からなる物理読本シリーズの第4巻で、副題は「非線形の世界」。第1巻は古典物理の世界、第2巻は量子力学の世界、第3巻は相対性理論の世界を扱っている。第2巻と第3巻は読んでいない。前3巻は20世紀までの物理学という感じがするが、この非線形の世界を扱った第4巻はこれからの物理学という感じがする。これまでの常識では、複雑な現象というのは複雑な原因に由来すると考えられてきた。しかし近年、単純な法則から複雑な現象が生み出されることが解明されてきた。20世紀から21世紀というこの時代に非線形系の研究が発展してきた背景には、コンピュータの進歩によるところが大きい。本書で紹介されているライフゲームはその1例である。ルールは簡単。コンピュータで簡単に試してみることができる。しかし奥が深い。本書を読んで非線形系の面白さを垣間見ることができれば、関連図書に手を出し、虜になっていく人も居るかもしれない。☆☆☆

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2006.03.12

[書評] 世界文明一万年の歴史

マイケル・クック:世界文明一万年の歴史,柏書房,2005

世界文明一万年の歴史 この地球上に人類がたどった歴史は1つしかない。しかしもう1度同じ条件でやり直したら同じ歴史をたどるのであろうか?大河の流域に文明が栄える。これには必然性がありそうだ。だがその場所に大河があったのは、気まぐれな地球の地殻変動が決めた偶然である。歴史そして現代社会のありようには必然性がどれだけ支配していて、偶然性がどれだけ含まれているのか。ジャレド・ダイアモンドはこのような疑問を持ち、1997年に「銃・病原菌・鉄」著した(日本語訳2000年)。
 本書の著者もこの「銃・病原菌・鉄」に影響を受け、本書を著すに至ったと述べている。原題も「A BRIEF HISTORY OF HUMAN RACE」であり、HUMAN RACEと言うところがダイアモンド、そして私の疑問点と共通していることを端的に表している。本書は「歴史が現在の状態に至ったのはなぜか」という第一部から始まり、第二部が「小大陸」、第三部が「ユーラシア大陸の諸文明」と続き、第四部の「世界の均一化?」で締めくくられる。まさしく「銃・病原菌・鉄」の影響を受け、私の関心の核心に迫りそうな構成である。第一部の疑問の呈し方は期待を持たせたのだが、第二部,第三部が各論になってしまった感じがする。それでも第四部に繋ぐのに必要な要素であれば不満はないのだが、そういうわけでもない。第一部はこの本を書くに至った動機、つまり疑問の提示であるが、最後まで読んでこの疑問が解決しただろうか。そんな気がしない。第一部と第二部以降が別物になってしまっている気がする。
 私としては、著者自らが「銃・病原菌・鉄」に影響を受けたと言い、「世界文明一万年の歴史」という題名の450ページもの本ならば、最低でも4つ星を付ける内容を期待していた。各論を読む本だとしても十分に面白いのだが、期待が大きかっただけに控えめな採点にならざるを得ない。☆☆☆

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2006.01.25

[書評] ローマ人の物語VII 悪名高き皇帝たち

塩野 七生:ローマ人の物語VII 悪名高き皇帝たち,新潮社,1998

ローマ人の物語VII 悪名高き皇帝たち 帝政ローマを築き上げた神君アウグストゥス亡き後の約50年間を描く。登場する皇帝はティベリウス,カリグラ,クラウディウス,ネロの4人である。皇帝ネロの治世の始まりの頃に生まれたとされる歴史家タキトゥスの著作「年代記」の中で、この4人の皇帝は酷評されているという。この著作が後世に与えた影響は大きく、「悪名高き皇帝」という汚名はタキトゥスの筆によって伝わったと著者は言う。
 カエサルとアウグストゥスは実力と人気を兼ね備えた英雄であった。しかしその跡を継いだティベリウスは、この2人のようになれないことはすぐに解ったであろう。2人の天才指導者が治めた時代が終わると、やもすると彼らのようなカリスマでなければ国を治めることができないと思われたかもしれない。しかしティベリウスは、英雄でなくても彼らが築いたシステムを守りさえすれば治められるということを示した。人気取りはやらない。だが仕事はやる。皇帝という職業では珍しくクールな職人気質の人物だ。July(カエサル)やAugust(アウグストゥス)のように月の名前に名を残してはどうかと進言されたときに、皇帝が13人になったらどうするのかと言って断っている。彼らの汚名を晴らしたいという著者の思いが含まれているせいもあると思うが、私はティベリウスは非常に好きな人物である。
 続くカリグラ。そしてクラウディウスを飛ばしてネロ。彼らこそ「悪名高き皇帝」として知られており、アウグストゥスや五賢帝よりも有名なローマの皇帝である。彼らに共通することは、先代の皇帝が(善政であったとしても)市民に人気がなかったということである。そして若くして帝位に就いた。現代の日本でも、新しい感覚を持つ若い人に人気が集まるし、世の中を明るくしてくれるのではないかと見られる。周囲からそう見られている事を知っているその若者は、帝位に就いてもなお人気者であり続けたいと考えた。それが人気取り政策に走らせ、国家財政の浪費へと繋がり、ついには暗殺という結末となる。
 人気のある政治家、国民に歓迎される政策、それ自体はもちろん良いことだ。しかしそれが人気取り政策になっていないだろうか。その結果が財政圧迫。ついには・・・。人気よりも実力を示したティベリウスやクラウディウスのような無骨な政治家を待ち望む。☆☆☆

[書評] ローマ人の物語VI パクス・ロマーナ

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2006.01.22

[書評] 誰が文明を創ったか

ウィル・デューラント:誰が文明を創ったか,PHP研究所,2004

誰が文明を創ったか きっかけは全てジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」にある。ソシュール入門で書いたように言語学に関心を持ったのも、遺伝子で探る人類史で書いたように文明以前の歴史に興味を持ったのもである。言語学や人類遺伝学は文字情報が存在しない時代の人間社会を読み解くツールである。文字による記録のある時代になると、各地・各時代の歴史はそれぞれ掘り下げられていて、それぞれの地域の文化を述べた本もたくさんある。文化・歴史の分野は各論は非常に多いのだが、全体像を俯瞰する本はまれである。たぶん難しすぎるのであろう。だからこそ、なぜそのような文化を持ち、歴史をたどるに到ったかについての根本的な問題を取り上げた本は読みたいのである。
 そこで本書であるが、期待はずれであった。原題は「HEROES OF HISTORY」で「誰が文明を創ったか」とはかけ離れているのだが、それだけではない。まず著者の発想が西洋的な感覚に偏りすぎている。次に文明や歴史というより思想的・宗教的・哲学的・詩的・芸術的すぎる。ある人物やある出来事を書くとして、数多くの中からなぜそのエピソードを取り上げたのかよく解らない。途中斜め読みになったせいもあるが、私には何が言いたいのか全く解らなかった。☆

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2006.01.15

[書評] なぜ「耐震偽装問題」は起きるのか

長嶋 修:なぜ「耐震偽装問題」は起きるのか,講談社,2005

なぜ「耐震偽装問題」は起きるのか 昨年11月に発覚した耐震偽装問題をエサに一稼ぎをしてやろうという本。著者は否定するであろうが、何か世間を騒がす事件・事故が起こるたびに「なぜ○○は起こるのか」といった書名の本が連発されているのだから、またこの手の本かという誹りはまぬがれないであろう(事件の度に著者は異なるであろうが、編集者は同じであろう)。それでも内容があるのなら文句はないが、本書の発行日は12月26日。つまり長くても1ヶ月程度で書いたことになる。今現在でも、これから事件の全容を明らかにしていくという段階なのだから、本書に事件の全容が書かれているわけではもちろんない。現在マンションに住んでいて、この事件の報道を見聞きして不安になっている人を対象に書かれているが、内容は「業界はこうなんです」ということが書かれているだけで、この本を読んだからと言って何か不安や疑問が解決することは全くない。
 そもそも著者は不動産コンサルティングサービスの人間であって、構造設計に詳しいわけではない。私など(構造設計者)から見れば、構造もわからんのに解ったようなコメントするなと言いたくなる。一般人から見れば構造設計者などというのは初めて聞く職業で、ディベロッパーなどと同様に彼らこそが(構造も含めて)建築のプロだと思われている。エンドユーザーに近いところにいる分だけ影響力があるのだ。この関係は学校の生徒と先生の関係に似ている。私なども小中学生の頃は、学校の先生は何でも知っていて、世の中で最も頭の良い人が先生という職業に就くのだと思っていた。実際は全く違う。生徒からは先生の向こうにある世の中は見えないものだ。
 構造設計者から見て、いい指摘しているなと思える文章も幾つかはある。しかしそれは行間を読める人が読んでいるからの話であって、どうでもいい話の山に埋もれた1本の針のようでは一般人がそこに気が付くことはあるまい。
 世間でこの事件が騒がれているうちに、仰々しいタイトルで目をひきつけ売ってしまおうという、予想通りの中身の薄っぺらい本である。私は1時間かからずに読み終わった。暇つぶしにもならない。☆☆
p.s.
 火事場泥棒というか二匹目のドジョウというか、事件・事故報道直後に出されるこの手の本は、中身が薄っぺらいことがわかっているから一般人目線では決して手を出さない。今回は自分の専門分野であるからあえて手にしたまでである。この手の本を買うということは、興味本位の週刊誌と同じで、どうでもよい報道に加担していることになる。

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2005.11.06

[書評] 定刻発車

三戸 祐子:定刻発車,新潮社,2005

定刻発車 本書の発行は2005年5月1日となっている。その6日前の4月25日に死者107名を出したJR福知山線列車事故が発生し、しばらくの期間世の中はこのニュースで持ちきりであった。この事故の報道においては、運転手個人の運転ミスであるという視点はむしろ少なく、JR西日本の社風や鉄道システムそのものに批判が浴びせられていたようである。
 この事故を機に日本の鉄道システムに関心を持った人も多かったであろう。実際、事故はなぜ起こったのかの類の本は、雨後の竹の子のごとく出ている。本書は日本の鉄道システムの優秀さを述べているのだが、ダイヤの正確さを保つ技術の1つとして挙げられている「運転手は巧みなブレーキ操作で遅れを取り戻す」あたりの解説は、福知山線列車事故の直後としては神経を逆なでする部分もあると思う。事故の6日後というタイミングは単なる偶然とは言え、良かったのか悪かったのか。
 日本の鉄道は世界一正確であるという。私自身外国の鉄道に何度も乗ったことがあるので、自らの経験としてもかなり正確な部類に入ることは実感している。外国で感じることは、誰も遅れを気にしていないということである。着けばよいと思っている。日本の場合、気にするから正確になったのか、いつもは正確だから遅れると気になるのか、鶏が先か卵が先かの議論であるが、いずれにせよそういう国民と鉄道を持つに到った。この世界に類を見ない正確な鉄道が生まれた歴史的な背景や、それを維持するための仕組みや技術を検証する。
 日本の鉄道が正確であるとか、工業製品が優秀であるとか言った場合にすぐに登場するのが、日本人は勤勉だからとかいったステレオタイプな国民性である。それは一応の説明にはなっているかもしれないが、ではなぜ勤勉なのかという疑問が出てくる。結局いつどこの人間社会も、歴史的な背景から切り離すことはできない。そしてそのような歴史をたどった要因まで突き詰めれば、その土地の地理的・気象的な要因にまで行き着くであろう。本書の検証は、まさに歴史的・地理的な要因にまで掘り下げられる。そして意外かもしれないが、乗客のために正確を追い求めたのではなく、正確でないと成り立たないという運行側の都合による側面が大きいということが見えてくる。
 また本書で強調されるのは、正確な鉄道を維持しようとする鉄道マンのたゆまぬ努力である。完成されたシステムであっても、それを維持するのはまさしく人間の日々の努力なのである。火事で逃げ遅れた人を助ける消防士は英雄に見える。病気の痛みを鎮めてくれる医者は神にも見える。人の窮地を救う彼らには感謝をするが、平常を保つという努力している人々の活躍に対して、我々の感謝は足らないのではないだろうか。
 鉄道に対する利用者(日本人)の注文が厳しいのも事実であり、それがこの世界で最も正確な鉄道を育てたという背景も当然ある。また日本の消費者の商品に対する厳しさが、国際競争力のある企業を育てている。一流を育てるのは第一級の厳しい眼差しであり、政治が三流なのは国民の甘さ以外の何物でもない。☆☆☆☆

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2005.10.30

[書評] 遺伝子で探る人類史

ジョン・リレスフォード:遺伝子で探る人類史,講談社,2005

遺伝子で探る人類史 本書が扱っているのは、数百万年前から数千年前にかけての人類の歴史である。これまでの学問の枠組みでは、数百万年前から数万年前という年代は人類学の範疇で、主に発掘された骨を手がかりに人類の進化の道筋を明らかにしていくものであった。また考古学と呼ばれる学問は、発掘によるという点では同様であるが、主として人類が文明を築き上げた数千年前以後を対象にしている。ここで空白になってしまうのが、解剖学的には現世人類と区別が付かないが、文明には到っていない数万年前から数千年前の年代である。この年代は人類が世界中に拡散し、また農耕が生まれ、文明前夜と呼べるような人類の歴史にとって重要な時期であるが、学問的には人類学と考古学の隙間になる。身体の特徴や言語の比較といった手法が用いられているが、人類のあけぼの,文明の始まりといった派手さがないし、また文系と理系の境目のどっちつかずな所も研究が進まなかった理由であろう。
 本書では、近年目覚ましい進歩を遂げている遺伝子工学を用いて、人類のあけぼのから文明の始まり前夜までの人類の歴史を追いかける。新しい技術というのはその分野だけで有用なのではなく、実は他の多くの人も潜在的に待ち望んでいるものである。例えばインターネット技術の出所はコンピュータ分野であるが、今では、それまでコンピュータなど触ったことがないという人にまで利用されている。遺伝子工学も、当初の最先端の科学者が考えも付かなかった利用のされ方をするであろう。考えも付かなかったとまでは言わないが、これまで道具が無くて扱えなかったこの空白を埋め、さらに研究の発展に大いに貢献する、待ち望まれた技術であることに異論は無かろう。
 書き方としては、扱う範囲が広いからか、少し駆け足的で結論を急ぎすぎている気がする。また人類学だと思って読んでも、文明前夜の人類の歴史だと思って読んでも、少し物足りない気がする。しかしそれは私自身が既成の枠組みに捕らわれているからで、新しく生まれつつある「人類遺伝学」だと思えば、適当なのかもしれない。しかしまとめが1ページ半なのはやっぱりいただけない。非常に長いスケールで話を進めてきたのだから、全体を総括しての1章分のまとめは欲しい。この辺りは学問的にも著者自身もまだまとまっていないのかもしれない。
 ブルーバックスは、最初は中学生の頃に親に買ってもらって読んで以来、時々思い出したように読んでいる。これまでブルーバックスは、章ごとや節ごとに完結する類の啓蒙書というイメージであったが、本書は1冊で1つの論とする一般解説書の体裁である。本来新書として発売されてもよい内容だと思うが、ブルーバックスっていつからこういうカラーになったのだろうか。☆☆☆

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2005.09.27

[書評] ローマから日本が見える

塩野 七生:ローマから日本が見える,集英社インターナショナル,2005

ローマから日本が見える 歴史を知って面白いと思うことは、歴史的事実そのものよりも、自らが生きる時代に重ね合わせられるところにあると思う。国や時代が異なっていても、人間のやることというのはバカバカしいほど同じなのである。
 本書はローマ人の物語という歴史を書く著者が、ローマの歴史と現在の日本という2枚の紙を重ね合わせて、ローマ側から透かして見るものである。2章から8章まででローマの歴史の前半分(ローマ建国から帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスまで)をダイジェストに伝え、9章でローマから日本を見る。
 この本の読者として誰を想定しているのであろうか。ローマ人の物語を読んでいなくてこの本を手に取る読者は少ないと私は思うのだが、そういう人には若干ネタばらしをすることにより、この本をきっかけにローマ史に興味を持つことになるかもしれない。ローマ人の物語の宣伝としては良い。しかし大部分はローマ人の物語を読んでいる読者だと思う。だとすると1章から8章までは不要で、9章の約30ページだけが新しい内容ということになる。
 それに冒頭で書いたように、歴史と現在の重ね合わせによる相違点は自分で見つけ感じるから面白いのであって、誰かに解釈を加えられるのは押しつけがましい。元のローマ人の物語自体が正しくは歴史書ではなく小説なのだから、矛盾する話ではあるのだが・・。☆☆☆

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