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2005.03.30

[書評] ローマ人の物語VI パクス・ロマーナ

塩野 七生:ローマ人の物語VI パクス・ロマーナ,新潮社,1997

ローマ人の物語VI パクス・ロマーナ この巻の主人公であるアウグストゥスは英語の8月に当たるAugustの語源として名前ぐらいは知っていた。ちなみに7月に当たるJulyの語源はユリウス・カエサルのユリウスである。カエサルと並び称されるアウグストゥスであるが、彼についてはまあ何も知らない。しかし月の名称になっているのはこの2人だけなので、相当な功績そして人民から慕われる名声を残した人なんだろうぐらいには思っていた。カエサルとアウグストゥスは2人とも偉大であるが、ひとことで言うと、古い秩序を打ち壊したカエサルと新しい秩序を築いたアウグストゥスということになるのではないだろうか。
 著者は何かにつけて彼を後継者に指名した義父カエサルと対比させて描く。この著者だけでなくこれまでの歴史家たちもそうしてきただろうし、周り中全てがカエサルを知る人々だった当時も第一人者として比較されてきたであろう。また著者や歴史家が想像するように、実際本人自身も常に意識していたのではないか。著者はカエサルとアウグストゥスの性格の違いから、政策の進め方の違いを解く。面白いのは違いは政策の進め方の違いであって政策そのものではない。政策の中身ではアウグストゥスはまさにカエサルの後継者なのだ。アウグストゥスがカエサルと並び称される理由、それはカエサルが絵に描いた理想を現実のものにした政治手法そのものであると感じた。
 著者の描くアウグストゥスは慎重、悪く言えば計算高い。カエサルが古い秩序を打ち壊したと言っても、全てが賛同されていたわけではない。だからこそ暗殺された。カエサルの理想は、ある意味進め方が急すぎてカエサル自身は実現することが出来なかった。どんなに素晴らしい政策でもそれを実現できなければ意味がない。しかし彼はそれを押し進めた。そして結果としてローマに平和(パクス・ロマーナ)をもたらした。昨今改革という言葉はどこでもお題目のように唱えられるが、組織のトップに立ったからといって、全てが思い通りになるわけではない。根回し、取り引き、時には独断、懐柔、妥協。ありとあらゆる手法を必要とする。自らの理想が周囲と相容れない場合は特にそうである。周りに理解されない状況の中で物事を断行できる人物。彼のような人物の必要性は現代でも全く変わらない。むしろ武力に訴えることができない現代にこそ、より重要性が高いのである。
 アウグストゥスの臨終の言葉とされる「舞台から去る私を拍手で送ってくれ」は、「ブルータスお前もか」と同様に本書には登場しない。彼らしい計算された言葉であるが、出来過ぎの感も否めない。政策を進めるために常に冷静だった感のあるアウグストゥスを言い表す後世の作ではないか。むしろ著者が描いているような、晩年は身内の不祥事に手を焼き、後継者選びに血縁にこだわり続けていた、欲や苦悩を持つひとりの人間オクタビアヌスを彼本来の姿と見る。☆☆☆

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古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓にこんなことが書かれていたそうです。こ [続きを読む]

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