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2004.08.06

黒部の太陽

8月4日、会社の業務時間中に仕事として映画「黒部の太陽」を観た。
黒四ダムは大学4年生の時に研究室の旅行で訪れたことがある。
その時は富山で1泊し、立山で一泊し、大町へ抜けて帰ってきた。
その旅行の時、研究室の同輩が、予習としてこの黒部の太陽を観た
と言っていたのを覚えている。
しかし今回聞くと、黒部の太陽はビデオ化やDVD化がされていないという。
それは色々経緯があるようだが、石原裕次郎の生前の想いもあるようで、
とにかく現在は石原プロダクションからの許可が出ないのだそうだ。
今回もフィルムであった。5巻を交換しながらの上映である。

上映に当たって、石原裕次郎演じる主人公岩岡剛のモデルになった
笹島さんという方本人が来賓の挨拶をした。
もう90歳前だそうだが、現在もトンネル工事の最前線にいるという
非常に元気な方だった。

映画内でゼネコンの名前は全て実名である。
私は黒四(黒部第四ダム)と言えば間組の施工だと思っていた。
しかしこの映画は熊谷組がメインである。
キャストなどを示した最初のロールで、間組、鹿島建設、熊谷組、
佐藤工業、大成建設と出ていた(佐藤と大成は順番が逆だったかもしれない)。
私が勘違いしていたのは、黒部の太陽はダムを造る映画だと思っていたことだ。
しかしそうではない。トンネルを造る映画なのだ。
ダムを造ったのは間組で正しいのだが、残りの4社は
そのダムへと続く物資輸送のためのトンネル等を施工しているのだ。
そしてそのうちの熊谷組の工区での難工事が映画化されたのだ。

この映画の主人公は、熊谷組岩岡班の石原裕次郎ということになっているが、
私には施主の関西電力黒四建設事務所、北川次長役の三船敏郎であるように思える。
石原裕次郎よりも三船敏郎の方がかっこよかった。

またここでおもしろいのは、熊谷組の職員役が誰も居ないということである。
建設現場に詳しくない人は、岩岡(石原裕次郎)を熊谷組の社員だと思っているか、
そうでなければ関電から受けた工事を、岩岡班に丸投げしていて
熊谷組の職員は工事の最前線に全く関わっていないと思っているかもしれない。
しかし元請けが現場に居ないようなことは絶対にないわけで、
むしろ私は施主側の北川次長(三船敏郎)が、
常駐して現場の指揮を取っていたことの方が変に感じる。

もうひとつ昔作られた(昭和43年2月公開)映画だなぁと思ったのは、
「労務者」「土方」という言葉が頻繁に出てくるということだ。
今では差別用語として、公の場で使われることは全くないし、
現場でも一般的には使わない。
労務者は作業員。土方は土工と言い換えている。
しかし土方はスラングとしては使われている。

実話を基にしているとは言え、映画だから、建設現場を知っている人にとっては
「このシーンはおかしい」と思うこともあった。
しかし時代が違うので、本当におかしいのか
それとも単に今の時代感覚でおかしいと思うだけなのか、
はっきりしない部分もあった。

時代が違うと言えば、黒四の前に作られた黒三(黒部第三ダム)の話である。
戦時中(昭和13年と字幕に出ていた)の工事で、ダイナマイトを仕掛けるのに、
仕掛けてすぐに発破を行わないと山の地熱で自然爆発してしまう
非常にやっかいなトンネルだったそうだ。、高熱トンネルと言っていた。
この工事のシーンは、消防士が使うような高圧ホースで
後ろから水を掛けられ続けながらふんどし一枚の労務者が作業をしているのである。
そして映像としてはなかったが、
銃剣を突きつけながら作業をさせていたというセリフが出てくる。
黒三ではダイナマイトの誤爆や銃剣で殺された人その他も含めて、
約300人が亡くなったという。

黒四では、映画の一番の見せ場でもあった破砕帯による大量の水や土砂によって、
また熊谷組が掘ったトンネル以外も含めてだろうが、
100何人かが犠牲になっているはずである。
それは現在ダムの脇にある慰霊碑に
犠牲者の名前が刻まれているのを見たから知っているのである。
映画ではこのトンネルや黒四ダム工事全体の犠牲者の数には触れていなかった。

上映の後の挨拶の中で、観ていた学生に対して、
現在の土木技術は当時に比べて格段に進んでおり、
今はこんな危険なことはやっていませんと言っていた。
まあ、これは言っておく必要があるよね。

私もトンネル工事やダム工事のことは全く知らない。
しかし建設業に携わる人間として、この映画は観て良かった。

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コメント

ダムも発電所も名前が違うだけで、ちゃんと4つありますよ^^

投稿: ROX | 2007.06.21 21:52

NHKのプロジェクトXで黒四ダムを2回に渡って取り上げていた。私が見たのは多分再放送であろう。上記の記事中のあいまいな所がはっきりしたので記す。

第1回目は黒部の太陽の舞台となった熊谷組の工区の大町トンネル。スタジオに呼ばれたのはもちろん岩岡剛のモデル、笹島信義さん。

第2回目は間組の工区のダムの本体工事。最後に「尊きみはしらに捧ぐ」と書かれた銅像が映し出された。171名の尊きみはしらであった。

投稿: きよみね | 2005.10.31 21:20

10月24日(月曜、平日ですが…)東京調布のグリーンホールでこの黒部の太陽の無料上映会
が二回行われますよ!

http://www.city.chofu.tokyo.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC02027&Cc=7d56a9e27&DM=&TSW=&IM=

投稿: 調布近郊在住者 | 2005.10.19 01:49

黒部の太陽上映会が、近々あるって本当ですか

投稿: こいずみだいい | 2005.10.06 06:12

私は小学生のころ この映画を観たのですが、今観ると多分違う感想を持つと思うので、非常にうらやましいです。

私は北九州の出身なので、炭鉱での落盤事故や、関門トンネルの浸水など聞いていたので、破砕帯による大量の水や土砂は技術でなんとかなるのでは無いかと思って観てました。だから、高熱トンネルの方が印象に強く残っています。そして、破砕帯も高熱トンネルも黒四の話だと思っていました。だから不思議なのですが、映画「黒部の太陽」に高熱トンネルの話がでてくるのでしょうか?

それと、私も黒四とは「黒部第四ダム」の事であり、このホームページ開催者と同様に「黒部第一ダム」「黒部第二ダム」「黒部第三ダム」とあると思っていたのですが、正式名「黒部ダム」が「黒四ダム」と呼んでいるダムで、それ以外は無いようです。
では、「くろよん」とは何かですが
「黒部ダムと黒部川第四発電所の建築プロジェクト」
だそうです。

それ以外にも、高熱トンネルと連続して映画の舞台のトンネルがあると思い込んでいました。

この映画は、そう思い込ませるような表現があったのでしょうか?

ぜひ疑問を解くためにも観て見たいですね。


投稿: ボッチのパパ | 2004.09.05 18:48

自分は、「黒部の太陽」を、子供の頃、学校で見ましたが、実際にアルペンルートに行ったことはありませんでした。
しかし、子供心に壮絶な映画であったことを覚えています。
今年やっと念願のアルペンルートを旅行し、多くの犠牲者のお陰で、素人にも2400メートルの雲上の世界を見ることができるようになったことに感動して帰ってきました。そして、あらためて、あの当時の工事で亡くなった方々や、苦労なさった皆さんに敬意を評して、せひまた、あの「黒部の太陽」を見たいと思っています。
どこかで、この映画を観れるところをご存知ありませんか?

投稿: 和義 | 2004.09.01 21:26

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